会社を経営する父の長女として生まれる。父は愛される経験が少ないという複雑な家庭に育ちながらも、誰でも大切にし、誰でも家族のように接するという生粋の義理と人情の人。しかし、アルコール依存症で苦しみ、そんな環境に心を壊した母。普通ではない環境に育った私は、常に生きづらさと自殺念虜を感じながら生きていた。
父は普段は優しいがお酒を飲むと包丁を振り回すこともあり、家族は何度も苦しめられた。父を殺さなければ殺されるかもしれないという危機感を持った時期もあった。金銭感覚も安全感覚も普通ではなく、私を含めた3人姉妹は、みんな対人関係が上手くない。そのため学校などの一般的コミュニティーでは、常に生きづらさを感じていた。普通を求め、安全安心を求めるが、無意識に危険で刺激がある環境に飛び込んでしまう。イジメにあったことをきっかけに、初めて生きていくことを辞めたいと思ったのは、小学3年生。地獄のような日々だった。学校でも自宅でも安心出来る居場所なんてなかった。
少し不良の真似事をすることで、所属感を持て、安心するひと時を得た。
父との関係不全から自分に強さを求めていた。高校の頃から悪化する父からのひどい暴力。逃げるように夜遊びに逃避した。
自宅から逃げたい気持ちが強く高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。でもそこでも、根底にある対人関係が上手くいかない問題とぶつかる。自信のなさ。そんな中、自衛官と結婚するが、結婚前から既に暴力があった。私の中では、男は暴力を振るうのが当たり前なんだと思っていた。
愛されたい気持ちが強さを増す中、私自身が愛し方が分からないことに気づいたのは、初めの子供の育児の時だった。夫からの暴力で疲れ切っていた中、子供が泣くと、自分を責めているように感じてしまった。死にたい気持ちは、小学生の頃からずっとくすぶっていたが、この頃は、火山の噴火のように溢れていた。子供が1 歳になり、職場に復帰すると、家庭からの開放感と夫からの暴力から少しでも解放されることにより、心が軽くなった。そんな頃、優しくしてくれた人がいて、心の拠り所となっていた。そんな心の変化に夫は気づき更に暴力は増して、殺される危機感を覚えた。
そんな頃、悪いことは重なり、高校時代からの恩師であり、当時上司であった男性が自殺し、家族ぐるみで優しくしてくれた奥様も後追い自殺をしてしまう事故が起こった。遂に心が壊れた。そして精神科閉鎖病棟へ入院した。その頃出逢ったのが、後に運命的な出会いとなる心理カウンセラーの下園壮太氏だった。
当時は、まだ新米だった下園さんだが、優しく誠実で、行動力があった。彼との出会いがなければ、私は心理の道には進んでいないだろうし、出会ったことで自分と向き合うことができ、私自身が大変身できた。でも彼は、出会った当初はまだ未熟で優しさだけであったため、不用意に開けてはならないパンドラの箱を開けてしまった。そこには、今まで意識に出さなかった、恐ろしい体験がしまわれていた。小学3年生のレイプ事件、父からの屈辱的な虐待、父が祖父から半殺しになった現場を見たことだった。受け止められず無意識にしまっておいた記憶が一度に出て来て、パニックになった。まだ安全ではない中で、私は、生きることは死ぬことよりも過酷だと感じていた。
夫の暴力に耐え切れず、離婚した。うつ状態のまま子供には会わせてもらえなくなった。
私は、死ぬつもりだったのでそれで良かったと思っていたが、子供を失うことは一生十字架を背負って生きていくようなものだった。
しかしこんな時に上手く心の隙間に入り込んできたのが結婚詐欺の男性。部屋に転がり込んできて、子供のように暴れて、お金を盗み、強盗殺人の容疑もかかっていて、大変な時期だった。被害者は多いが、私は、自分の親が先方の父親に責任をとらせ、何とか収まった。この時、騙され借金させられた額が400万円。今思えば大きくないが、当時は返済出来ずに死のうかと考えていた。その後、奇跡は起きた。友人が今の夫を紹介してくれ、再婚した。自分では絶対出逢わないくらい違う世界感の人。でもそれが素晴らしい安定した人生のスタートになった!
私自身が怒涛の経験をしてきた中で、自分と同じように辛い時期を過ごしている人たちのために何かできないかと思い立ち、私は心理の道に進んだ。自らの生きる意味は、「人の命を繋げ、1人でも多くの人を成功者に導くこと」と決意し、自衛隊勤務を非常勤に変え、仕事を掛け持ちしながら放送大学を異例最短の4年間で卒業。猛勉強をして臨床心理士指定大学院に入学。非常勤のカウンセラーなどで生計を立て、2年間で修士過程を修了。合格率6割の臨床心理士試験に1発合格した。臨床心理士をしているとたくさんの、不幸な話や驚く話、怖い話があるが、それらを聞いてビビることはない。辛さも分かることが多い。 当事者がどのように苦しみ、何故ケアする側が知らず知らずに傷つけてしまうのか、心理ケアを行う上で何が重要であるのかを常に意識している。私の心理ケアの特徴は、如何せん義理人情の世界で生きてきたこともあり、他の専門家以上に繋がり続けることを意識し、その人の成長や発達を促し、人生とも密接に関係していくスタンスである。だからこそ、繋がり続けるための距離感やバランスを大切にしている。発達障害を持つもの、気分障害を持つものには、それぞれ独特の感性や特徴がある。だからこそ、一般社会では生きづらさを感じることも多い。しかし、それを強みとして持つことにより、それは、障害ではなく才能になる。私はそう思う。
平成18年 | 国際サイコセラピー会議(東京) 「自律訓練法がタイプA 行動パターンに及ぼす効果」を発表 |
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平成21年 | 日本心理臨床学会秋季大会シンポジウム 陸上自衛隊代表シンポジストとして活動を発表 |
平成24年 | 中部防衛衛生学会 「積極的心理支援の成果及び東日本大震災の影響について」を発表 優秀演題賞受賞 |
平成23年~ | 惨事ストレスケア広島講座実行委員会設立(30人以上の専門家を育成) |
平成24年 | 広島県臨床心理士会産業領域代表として研修会を企画・運営し、講師や実技指導も行う |
平成24年 | 広島県自殺対策研修会 事例発表 他 |
昭和48年03月 | 岡山生まれ |
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平成03年03月 | 私立山陽女子高等学校 卒業 |
平成16年03月 | 放送大学教養学部「発達と教育専攻」 卒業 |
平成18年03月 | 徳島文理大学大学院修士課程「児童学専攻臨床心理学コース」 修了 |
平成03年04年 | 陸上自衛隊(平成11年4月任期満了退職) |
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平成14年04月 | 陸上自衛隊海田市駐屯地 部外カウンセラー・非常勤自衛官(平成20年10月迄) |
平成15年01月 | 岡山市教育相談室・適応指導教室(平成16年3月退職) |
平成20年11月 | 陸上自衛隊海田市駐屯地医務室 臨床心理士 |
平成26年03月 | NPO法人ハートシーズ創設 理事長 (福島県立医科大学県民健康管理室心理支援員を兼務) |
平成03年08月 | 第1種普通自動車免許 |
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平成06年06月 | 第1種大型自動車免許 |
平成06年11月 | 移動式小型クレーン・玉掛け免許 |
平成07年11月 | 2級小型船舶免許 |
平成09年09月 | 大型特殊自動車免許 |
平成12年02月 | 産業カウンセラー資格 |
平成14年08月 | 中型自動2輪車免許 |
平成14年09月 | 中級教育カウンセラー資格 |
平成15年03月 | 大型自動2輪車免許 |
平成15年07月 | 認定健康心理士資格 |
平成19年04月 | 臨床心理士資格 |
平成27年12月 | 保育士資格 |
もう、「あの人」のことで悩むのはやめる
著者:玉川真里
定価:本体価格 1,300円 + 税
ISBN978-4-7631-3481-3 C0030
四六判並製本文191ページ
2015年11月30日初版発行
3万人以上を救った、元自衛隊の臨床心理士が教えるしんどい人間関係に決別する方法
○つらいときほど「癒し」を求めてはいけない
○一度くらいは「どん底」に落ちていい!
○「許される」よりも「叱られる」ほうがはるかに大事
○なぜ「引きこもり」の時間は必要なのか?
○「物の準備」をしてから「心の準備」をすればいい
○「三日坊主」は生理的に正しい反応である
○日常生活で自己肯定感を高める「7つの習慣」とは?
○自分が会える「最高のひと」に会いに行きなさい など
名称 | NPO法人ハートシーズ |
理事長 | 玉川真里 |
副理事長 | 横山美栄子(広島大学教授 ハラスメント相談室長) |
理事 | 大野康二(元自衛官でありながら、定年目前で大学受験。現在管理栄養士を目指して猛勉強中) |
監事 | 玉田和子(錦見病院 理事 臨床心理士) |
アドバイザー | 下園壮太(惨事ストレスケア専門家) |
住所 | 広島県安芸郡海田町南堀川町 |
TEL/FAX | 082-557-2762 |
heartseeds@live.jp |